1972-03-30 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第6号
御承知のように、ごく最近、例の奈良県の明日香村で古墳の発掘が行なわれまして、まことにすばらしい古代美術というものに接することができた、こうニュースが伝わっておるわけであります。
御承知のように、ごく最近、例の奈良県の明日香村で古墳の発掘が行なわれまして、まことにすばらしい古代美術というものに接することができた、こうニュースが伝わっておるわけであります。
次に、民間ベースの文化交流といたしましては、昭和三十八年にアフガニスタン古代美術展が本邦で開催されましたが、その後、毎年数件の日本の学術調査隊や登山隊が派遣されておりまして、また、昭和四十三年には国際文化振興会が日本民族舞踊団をアフガニスタンに派遣しております。
これは私ずっと調べてみた一覧表をここに書いているんですが、最近のいろいろな、エジプト美術五千年展、フランス美術展、インド古代美術展、あるいは現代スペイン美術展、版画ビエンナーレ展、ビュッフェ展、ピカソゲルニカ展、シャガール展、それから今度近くくるという、ミロのビーナス、これは新聞社ですね、どこかの新聞がやっているわけなんで、ただ政府のほうは場所を貸しておられる程度、そして何々新聞主催、文部省、外務省後援
いろいろの内容を聞きますと、単に外務省の所管だけではなく、博覧会のごときには日本のいろいろの進歩的な生産品の陳列等を要望しておるようでありますし、また文化の面では、近代美術あるいは古代美術等の面にわたつて出品を希望しておるのだということであります。こう考えますと、この期にぜひともひとつ外務省は、通産省あるいは文部省等と提携して、日伯親善を一層高める努力をする必要がある、こう思うのであります。
そういたしますというと、現在二億、三億の金を費しておるということでありまするが、とにかく日露戦争より前にこういう古代美術を保護するために、当時の日本政府は二十万円の金を出しておる。今日は日本は文化国家として立つて行かなければならんということを堂々と世界に向つて宣言をしておる場合におきまして、二億、三億の程度では非常にこれは少い。
と申しまするのは、日本の古代美術は特に絵画においても、木彫類においても繊細であつて、而もいわゆる堅牢という点から見れば、西洋人の考えているところの美術観とは根本的に違つている。それから又日本の地理的環境が極めて濃度が高く、それに適応した形においておのずから美術品が生まれている、今日まで保護されて来た、こういうことになつている。
日本人自体がアメリカに行つて見なければならないような文化が、古代美術が流れていると思うのですよ。特にフランスあたりは相当あると思います。で、こつちも貸してやるから向うも日本から持つて行つたやつを少し貸してくれないか、こういうことでこれをきつかけにしてアメリカ文化並びに日本から流れ出た文化をいいものを、古美術をこつちに貸してもらいたい、これは言い得ると思うのです。
併し一方文部委員のかたがたの御意向は、これはやはり何も明治以後のものは保管を要しないとか何とかいうのでなしに、古代美術或いは近代美術共に文化財としてこれは尊重し保管して行かなければならん、こういうような御意向でこれも私は理窟が合うと思う。
○梅津錦一君 文部省のそうした國寶乃至古建築に對する見解を聞きたいと思うのですが、先程來言われておるように徳川時代、明治の初年において、日本の古代美術、或いは日本の貴重な資料が海外に流出したということはもう事實であります。現在この敗戰後、先程から言われておるこの日本の現在におけるところのものの考え方、この貴重なものを海外に出さないとすれば、少くとも國家においてこれを保護しなければならない。
それからもう一つは、文部省の管轄になりますが、先ほどいろいろ國寶あるいは重要美術の保存あるいはこれを觀光の目的に利用するということでありましたが、これはわが國の古代美術が主眼でありまして、少くとも日本の文化を知らせるためには、近代美術館の建設が必要ではないか。